インスタントラーメンの生みの親・安藤百福さんの生涯

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今日3月5日はあのカップヌードル・チキンラーメンの生みの親である安藤百福さんの生誕日です。

今、老若男女に広く食べられている色々なインスタントラーメンがスーパーやコンビニなどに並んでいますが、これらの始祖となったのが安藤さんの発明です。

■実業家・安藤百福

明治43年に生まれ、戦前戦後の動乱や食糧難の真っ只中を生きた安藤さんは、いろいろな偉業を成し遂げました。

昭和7年、父の遺産を元手として22歳の若さで「東洋メリヤス」を設立し下着などに利用されるメリヤスの取引を開始。その事業は成功しました。

翌年8年、大阪市に「日東商会」を設立。当時、繊維産業の本場であった船場の近くに拠点を置いて、日本で仕入れたものを台湾に売るという貿易を営みはじめました。

安藤さんは精密機器や飛行機用エンジン部品を製造するといった事業をさらに展開し、その傍らで立命館大学専門学部経済科に夜間学生として学んでいました。

順調だった安藤さんの事業ですが、戦時中という時代が災いして彼に人生の試練が降りかかります。
軍用機エンジンの部品工場では、国が支給した部品を横流ししたのではないかというあらぬ疑いをかけられ、憲兵隊に拷問を受けました。

しかし最終的に無罪であることが明らかになって釈放されました。

昭和20年から終戦までの間、大阪は大空襲の標的となり焼け野原になりました。

そんな絶望的な状況下でも安藤さんは実業家精神を失うことはなく、戦後すぐに百貨店をはじめとした事業を展開していきます。

戦争で失ったものは大きく、飢えた人や失業者があふれました。それを見た安藤さんは昭和21年、払い下げの陸軍の大砲試験場跡地を利用し製塩事業を開始しました。

そこで失業者を雇用した後も、大津市に「国民栄養科学研究所」を設立し病人向け栄養食品の開発を始めたり、名古屋に「中華交通技術専門学院」を設立し技術者育成をはかるなど、大いに尽力しました。

■インスタントラーメンの誕生

そんな安藤さんがインスタントラーメンを開発するに至った経緯、それは昭和20年代の食糧難でした。

アメリカから援助されるパンが支給される時代でしたが、栄養的文化的な観点から彼は東洋の食品である麺に着目すべきと主張しました。
そんな矢先、頼まれて理事長に就任していた信用組合が倒産します。

立場上、負債を支払うことになった安藤さんはずっと事業で蓄えてきた資産をすべて失い、あとに残ったのは大阪の池田氏にある借家の自宅だけでした。

その苦難の中でも彼は諦めることをしませんでした。

自宅裏庭に小屋を作り、そこでインスタントラーメンの開発を研究を始め、試行錯誤を繰り返しました。

その中で、揚げた麺を乾燥させるという「油熱乾燥法」を発明し、昭和33年8月25日にかの有名な「チキンラーメン」の発売に成功しました。

器に入れてお湯を注ぐだけのこの「魔法のラーメン」は人気を博し、その12月には自らの事業所を「日清食品株式会社」と改めました。

日清食品の海外進出に向けて安藤さんは昭和41年に欧米視察に渡航します。

渡航先アメリカのバイヤーがチキンラーメンを折ってコップに入れフォークで食べる姿を見た安藤さんが思いついたもの、それがカップヌードルのスタイルでした。

そして昭和45年、アメリカに法人を設立し、翌46年に世界初となるカップ麺「カップヌードル」を国内発売しました。

親しみがなく、また高価だったカップヌードルは苦戦しますが、47年のあさま山荘事件のテレビ中継画面で機動隊員が食べており、それに対して問い合わせが里津したことにより爆発的に売れるようになりました。

■晩年

昭和52年、戦後の食品産業への貢献から勲二等瑞宝章を授与されます。

また、「財団法人安藤スポーツ・食文化振興財団」の設立、「安藤百福記念賞」の制定などを行います。

平成11年、「インスタントラーメン発明記念館」がオープン。
平成13年、宇宙食ラーメン「Space Ram(スペース・ラム)」の開発に着手。
同年、6月29日で取締役を退任し「創業者会長」に就任。
そして平成18年にはアメリカのタイム誌で、アジアの英雄13人の一人に選ばれました。

平成19年、その功績多い実業家は96年の生涯を終えました。

その前日まで、昼休みにはチキンラーメンを食べていたという百福さんの人生はまさにインスタントラーメンそのものだったといえるでしょう。

■安藤さんの想いは今日も届いている

私たちが今日食べているインスタントラーメンは色々あります。

鍋で煮るもの、お湯を注ぐだけのもの… どれも簡単で、それなりにおいしいものです。

ライフスタイルが大きく変化し、お金のある時もない時も忙しい日々を支えてくれる便利なインスタントラーメンは、現代の栄養学などから見るとジャンクでバランスの悪いものということになりますし、確かにそういう側面もあることは事実です。

しかし、チキンラーメンとカップラーメンを生んだ安藤さんは、戦前戦後のあまりに厳しい中を懸命に生き、その中で国民が健康になるようにという強い想いをもって開発しました。

そんな安藤さんの想いと、今は当たり前になってしまったこの便利な発明品は今日も私たちのそばにあります。

時にはその偉業に思いをはせながら頂いてみたいですね。

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